
小牧・長久手合戦と同時期に、下野(現在の栃木県)で行われた「沼尻の合戦」を戦国史のなかに位置づけた一冊。
家康と同盟していた北条氏を牽制するため、秀吉の要請に呼応して出陣した“東方の衆”(佐竹・宇都宮氏などの連合軍)と北条勢が渡良瀬川東岸で対陣。
決戦に至らぬまま一ヶ月の膠着状態を経たのち、互いに兵を引くという北条らしい? 地味な結末ゆえ従来あまり知られていなかったが、実は秀吉の天下統一事業の影響下に行われた大規模な合戦だったことに著者の齋藤慎一氏が着目。
小田原合戦の6年前、すでに東国の諸大名も秀吉と誼を通じ、中央の支配体制に組み入れられつつあった。
初代早雲から五代百年、東国の最大勢力となっていた北条氏も、秀吉への臣従か対決かの選択を否応なく迫られることになる。
関東統一という「北条の夢」が、その実現を目前に迎えながらも、天下統一という「秀吉の夢」の前に挫折していく過程が描かれてゆく。
本書は2005年に中央公論社から出版された新書の再刊だが、新たに加えられた補論が興味深い。
当時、常陸の最前線だった境目の城に、「交代シフト制勤務」を命じられていた国衆たちの厳しい負担が解説されているのだが、戦国時代の中小企業ともいえる国衆たちに北条氏が課していた「常態化したブラック勤務」の実態が浮かび上がってくる。(井田家文書などで知られている)
そこから著者は、終わりなき戦時体制の常態化により、もはや限界に近づいていた北条氏が、やむを得ず秀吉との「和平」を選択したのではないかと考察する。
北条氏が豊臣政権への臣従を決断した理由の一つとして、示唆に富む見解ではないだろうか。