古代アレクサンドリア図書館と視聴覚室の収蔵資料目録

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たけちゃん、金返せ。──浅草松竹演芸場の青春 藤山新太郎 (著)

time 2018/12/15

たけちゃん、金返せ。──浅草松竹演芸場の青春 藤山新太郎 (著)

ビートたけしブレイク前夜の時代をともに過ごしたマジシャンが

「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・浅草」芸人の世界をありありと描く貴重な証言であり

ビルドゥングスロマンのような読後感が心に沁みる

 

 

著者は日本伝統奇術「手妻」を継承する芸人であり、
ビートたけしの「オイラの若手の頃にはこんな芸人がいてよぉ~」エピソードトークにも出てくる漫談の南しんじの息子。
昭和29年生まれなので、たけしよりも7歳年下になる。

昭和50年、著者が21歳の時、浅草松竹演芸場でビートたけしと出会う。
まだ無名の若手漫才コンビだったが、たけしの斬新な芸風はすでに芸人の間で評判になっていたという。

ツービートの漫才を初めて観た日から無類の面白さに衝撃を受け、以後6年間ほど親しい関係が続いた頃のエピソードが回想されていく。

当時のたけしは、舞台では言いたい放題のブラックな毒舌と、度々全裸になるといった過激な芸風を売りにしていた反面、舞台を降りると一転してシャイな性格に変貌するので「ずいぶん屈折した心根の人なんだなぁ」という第一印象を受けたという。

舞台よりもギャンブル優先という、いかにも当時の芸人らしい父親のせいで幼い頃に貧乏暮らしを経験した著者は、自ら芸人を志す決意をしても、しっかりとした技術を身に着けたマジシャンを目標とする堅実な努力家。

そんな著者が、同業者として間近で見た芸人たちの生き様から芸に対する意識を、プライベートから舞台まで様々なアングルで客観的に語ってゆく。

南しんじのような破天荒な芸人を愛し、天才肌だがどこか屈折した陰があり、それでも売れるための努力と試行錯誤を惜しまないビートたけし。

そんな相方の才能を信じて支える女房役のビートきよし。

ツービートのライバル的な存在で、才能溢れる漫才師としてブレイクしたものの、お笑い的ないい加減さを嫌い、漫才から演劇の世界にシフトしていく星セント。

それぞれの人となりを冷静に見つめつつも、決して冷たく突き放すわけではない筆者の人間味ある語り口が、芸人たちが歩んだ人生の陰影を浮かび上がらせてゆく。

たけしファンならば、オールナイトニッポンなどで何度も耳にした下積み時代や当時の芸人のエピソードが、その背景とともに具体的に明かされるのが読みどころ。

当時の演芸場やキャベレー営業のシステムの解説から、型を破ろうとして試行錯誤するたけしの姿。南しんじを筆頭に、横山やすしやなるみ信といった昭和芸人のエピソード。

やくざやホームレスとの交流、楽屋泥棒事件といった定番トークネタの実態が明かされたり、古参のたけしファンであれば、「たけし! オレの毒ガス半生記」※に出てくるエピソードが筆者の視点から証言されるのも興味深いだろう。

※30代のビートたけしが半生を振り返った本。水道橋博士など、ビートたけしファンに多大な影響を与えた。ビートたけしを語るなら必読書でもある。構成は吉川潮。

また、コンビ芸人をお茶に誘う時は一人だけ誘えといった芸人裏話的な小ネタも興味を惹くところか。

 

終章に近づくにつれて、チャンスを掴み、人気タレントへの階段を駆け上げっていくたけしと著者の距離が開いてゆくのだが、そこで父・南しんじが説く、親しかった芸人が売れた時の心構えと、それを受け止めようとする著者の心境が心に染み入るものがある。

それまで「父親としては本当にだらしないが、どこか憎めない芸人」として描かれていた南しんじの“芸人の哀愁と挟持”を感じさせる言葉やエピソードは、浮き沈みの激しい世界で生きてきた男の人生を感じさせる。

 

一人の若者がまだ無名の天才と出会い、兄弟のように親しく交わりつつも、やがて自分が進むべき道を自ずから決めて歩み出す。

芸人という特殊な世界を題材にしながらも、夢を目指す若者の姿を描いた普遍的な青春記として読んでも、滋味溢れる読後感が残るのではないでしょうか。

 

<※言うまでもなく敬称略>

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