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頼朝と街道 鎌倉政権の東国支配 木村茂光(著)

time 2016/11/19

頼朝と街道 鎌倉政権の東国支配 木村茂光(著)

平将門の乱の原因にも新説が!
人と物が通い
野望滾る武士たちが馳せた
街道から見直す東国の戦乱史

 タイトルだけ見ると、頼朝がいかにして街道を整備していったのか? といった、中世初期の街道についての論考をまとめた地味な内容の本だと思う人が多いのではないか。

 ところが実際は、中央の権力と結びついた武士たち、特に源氏が東北の富を狙い、いかにして東国支配を進めていったのかという大きなテーマが描かれている。

 鎌倉が首都として賑わう1240年代以前、東国社会における物流の中心としての役割を担っていたのは平泉だという
 
 青森県の太平洋側から津軽湾にかけて、大規模な防御性村落が存在していた。確認できるだけで100か所ほどだが、実際はその数倍に昇ると推定され、それらの人々を介した北海道から東北、そして京都までの太平洋交易ルートが存在していたという。

 そういった交易もたらされた平泉の富の中核は、北奥から北海道にかけての金や鳥獣の毛皮などの産物であった。

「台記」を記した藤原頼長も陸奥国に領地を持っており、年貢納入を請け負っていた藤原基衡との年貢納入を巡る駆け引きも行われていた。

 豊かな東北の富を集積した豪華絢爛な平泉の藤原政権と、それを奪った頼朝というイメージを漠然と思い描いていたが、遺跡や史料から、そのイメージが具体的に浮かび上がってくるような気にさせられる。

 源氏以前から奥羽の富を手に入れようとする争いは繰り返されており、平将門の乱も、近年の研究から鎮守府将軍だった父・良将の遺領を巡る争いだったと考えることができるのではないだろうかという著者の見解が示される。

 将門は上野国で新王を称した。それは、上野が東山道から東北への交通路の重要拠点であったため、「上野国を掌握することは、東北地方を押さえることもでもあったのである」。

 義朝の時代には、武蔵国の利権を巡って大蔵合戦が起こるが、平治の乱で源氏は没落。

 いよいよタイトルにある頼朝の時代に入り、「富士川の合戦」の真相、「守護・地頭の設置」を巡る著者の新見解が提示される。また、武士たちの忠誠心を計るために巻狩りを行うなど、怜悧な政治家としての頼朝像を描いていく。

 頼朝の合戦や上洛と絡め、奥州合戦では奥州への道、頼朝の死後も承久の乱で街道の整備が進んだといい、終章ではプロローグから大きく広がったテーマをタイトルに回収するかのように街道への話に戻ってくる。

 合戦や上洛を街道整備から見直すという視点を得たのは収穫で、歴史の見方がまたひとつ増えたような気になりました。


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