古代アレクサンドリア図書館と視聴覚室の収蔵資料目録

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間違ったサブカルで「マウンティング」してくるすべてのクズどもに ロマン優光 (著) コア新書

time 2017/02/10

お仕事は?「メディア関係です」とか「マスコミ関係です」とかいう人は面倒くさがらず読んでおくべき現在の「サブカル」業界の著名人概観図か!?

 発売後ツイッターなどで話題になった(らしい)新書。

 新書ということもあり、ページ数的にも読みやすく一日で読了したが、なんとなく残尿感というか‥‥いや隔靴掻痒感というべきか‥‥。

 それを一言で言えば「(著者としては)どうしても書きたかったというわけでもないテーマだけど、依頼されたから書いたけど、なんとなく最後までノリきれませんでした‥‥」といったモヤモヤを感じたからでしょうか。(一言じゃなくなった)

 前評判から想像していたのは、業界の大人の事情を考慮しなくてもいい立場の著者が、歯に衣を着せぬモノ言いでサブカル業界を斬りまくるといった、古いかつピント外れの例えでいえば、ダン池田 著「芸能界本日モ反省ノ色ナシ」のサブカル版的な内容なのかなと想像していたのだが、これはまったくの勘違いボケでした(そりゃ当然だけど)。

 最初にサブカルの定義みたいなことを語っているんだけど、「みうらじゅんさんはサブカルというより80年代セゾン文化の香りがする」といった分析はまぁなるほどそういう見方もあるかなぁ~と感じつつ、いよいよ著者の私見によるサブカルの定義が提示される。

 それはなんと「町山智浩が扱ってきたジャンルがサブカル」という大胆かつダイナミック過ぎる定義で、いくら「私見」とはいえ驚くのだが、それがこの本の後半に至るまでの壮大‥‥いや壮大でもないけれど、要するにお笑いでいうところの「フリ」なんですな。 

 そもそも「サブカルの定義」というものを今更それほど気にする必要があるのか、「それは人によっていろいろあるでしょうねぇ」としか言いようがないじゃん、と思うのだけれど、それはたぶん著者自身も内心わかっているんだけど、「このテーマで本を書くにあたっての構成上、自分が今まで考えてきたことを書いておくかな」感を感じてしまうのであった。

 いや、それが悪いというわけでもないんだけど、「まあ人によってはそうだよね」とテキトーな相槌で終わってしまうような話に過ぎないような気がしないでもないと‥‥。

 これはたぶん編集者との打ち合わせで、「サブカル界の有名人について、名前を挙げて語ってください」みたいなやりとりがあるのが普通だし、あるいは著者自身が、正直そこまで細かい定義とか気にしてるわけじゃないんだけど、せっかくだから本のテーマに合わせて書いておくか、と思いつつ書いているような気がしてしまうワケですな。

 次章の中森明夫氏のうさんくささについては200%以上同意。しかし、自分も長年出版業界で生活費を得てきた人間なので、中森氏の若い時分の酷ェ仕事を、他山の石とせざるをえない部分があります。

 編集者から「○○を揶揄するような記事を書いてください」と依頼された場合、自分も若い頃はその場の気分や下心や経済状態によっては受けてしまっていたかもしれないし、今後も場合によっては勘違いしてやらかしてしまう可能性もないとはいえない‥‥。

 ゆえに、中森氏の若い頃の仕事について自分は正義を振りかざして石を投げられるほど立派な人間ではない‥‥と感じてしまうジレンマもあるのですが。

 著者の発言そのものはもちろん正論なのだけれども、中森氏からすれば「あの時代はそういうもんでさ‥‥なんだかんだで自分がキモいのは自分が一番わかってますよ」と内心はさすがに思ってそうではある(わかってなかったら本気でおかしい)。

 

 著者と自分はほぼ同世代なのだけれど、オタクの世代論みたいなことを言えば、やはり幼女連続誘拐殺人事件をヤングの頃にリアルタイムで経験した世代と、その後の世代の感覚には「暗くて深い河がある」と思う。

 これはもうあの時代の「魔女狩り」のような空気を経験したものでしかわからないでしょうね。

 そういう世代からすると、今の若いオタクにとってそもそも「定義」「分類」「対立」とかそういう議論(をすることでマウンティングし合う行為)に興味を持つのか、求められているのだろうか、と思ってみたりもする。

 ネットを漁れば自分の興味ある情報が続々と見つかって暇つぶしできる昨今、オレが今のヤングなオタクだったらもっと楽しいことに時間を費やしているだろうなと‥‥。

 ネットやSNSで海外のクリエイターなんぞの情報がリアルタイムでわかったり、それどころかSNSで質問したら返信してくれることもある時代にネイティブで育っている若いオタク少年少女にとって、「○○(オタ議論のテーマ)とはこうなんだよ!」と口から唾を飛ばしながらムサ苦しいオタク野郎どもがギロンしつつマウンティングしあっていた時代なんて、セピア色の白黒フィルムのように感じるのではないだろうか? と思ってみたりもするがよくわからないや。

 ‥‥まぁそれはともかくとして、こじらせ女子とかその辺を扱うときのメディアの粗雑さは確かに同調するのですが、同時に馬齢を重ねるほど「まぁ世の中のこういう部分はこの先もあんまり変わらないんだろうなぁ」と自分がイライラする衝動も薄れてきただけでなく、自分自身も年齢とともにサブカル界の現状とかよくわからん(興味が薄れてくる)というのが現実だったりします。

 とはいえ、現状をよく知る人からの発信はとても必要ですので、ぜひこういった提言は続けていただきたいですが。

 出版社的にはこの本の売りであろう、町山智浩氏や水道橋博士に対するクレームも正論だと思いました‥‥が、これはサブカルというジャンル特有の問題なのかというと、結局は本人とそれを受け取る側それぞれの価値観の問題なのでは? とこれまた著書自身も思ってそうなことが感じられなくもない。

 そこから、わざと「本として盛り上げるために」怒りを高めて絡んでる感をなんとなく感じてしまうのは著者も自分もプロレス好きだからであろうか? まあ、実際はそこまで怒ってるわけじゃないんだけどね、そういう切り口の本なんで、みたいな‥‥。

※プオタにしかわからないネタですが、著者については、よりによって「宮戸優光」から名づけられたとはなんたる男だと思っていたのが自分がこの本を読んだ理由のひとつ。著者がもしサブカル界の宮戸優光ロードを歩まんとするならば、それはあまりにも茨の道であろうかと‥‥。

 なぜサブカル著名人がおじさん世代ばかりになっているのか、ということについては、単に世代人口の違いもあるのだろうし、我々より下の世代は雑誌業界の縮小の影響をモロに受けたため、現在のようにネット関連の仕事が増えるまではフリーランス、特にサブカルオタ分野のライターが育ちにくくなったことも原因のひとつとしてあるのではないかとも(出版業界氷河期説)、フリーライターのはしくれとして感じているのですが。

 そもそも今はメディア業界に入らなくてもSNSや動画投稿サイトでお手軽にいろんなモノを発信できるようになったので、旧世代に比べて業界に接近して専業でやっていこうと思わなくなってるというのもあるんでしょうかね?

 最後にまた最初に戻ってしまうと、著者も自ら書きたくて堪らずに持ち込んだ企画ではなく、出版社からの依頼であることを明かしているので、正直そこまで現在のサブカルを定義したいとか、サブカルおじさんを斬りまくるぞ的な怒りのマグマが噴火寸前! というほどではなかったけれど、依頼されて受けた仕事だからできるだけおもしろおかしく書かなくては‥‥的な苦心を行間から感じてみたりしたのですが。

 とはいえこれでロマン優光氏にメディアからの原稿や出演の依頼が増え、「現在のサブカルに詳しい第一人者的」な扱いになってくると、いろんなしがらみができてしまい、いろいろ面倒臭くなるかもしれませんが、ぜひとも独自のスタンスで発信を続けていただきたいと感想をしたためておきます。

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